活動理念(稲森紀子「愛と平和の祈り」より)

1. 世界の平和に向けて

国連にお集まりの皆様、こんにちは。

稲森紀子です。

私は今日の日を大変楽しみにしていたのですが、病気の進行とともに声を失いまして、代読をお願いしなくてはなりません。もう数か月早く私が行動をおこしていたなら、とも思いますが、これ以上時を無駄にしたくないと思いました。今は友人たちに手伝ってもらえば原稿が作れます。できないことを嘆くより、今、何ならできるかを探していきたいと思います。

障がい者の人権にはこのたび考えさせられました。私は今年の春に離婚しました。障がいが重くなっていき、家事も育児も自分の体の世話もできなくなると、私の人間としての、また女性としての尊厳は認めてもらえなくなっていきました。母親としても、子供の親権はもらえず、5 人の子供すべておいてきました。平和活動にしても「自分のことさえできないものがなにえらそうに言うんだ」と一部の人から言われました。

その時、あの東日本の大震災に遭いました。私はたくさんの元気な子供たちが、下校途中に津波にまきこまれてなくなったのを聞いて、こんなまわりに迷惑ばかりかける私が生きていて、あの子たちが死んでいったのが申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも、残されたものには何か意味があるのだろうと思い、今自分にできることを探して、今という時を大切に生きたいと思い、今日参加させていただきました。

皆様ご存じのとおり、日本はこのたび東日本大震災という未曽有の災害を受けました。それは地震国に育った私たち日本人でも驚き、ショックを受けるものでした。しかし、何より驚いたことは、日本人がこんなに人の幸せや不幸に涙を流して必死になる者たちであったのだ、ということです。

日本人は戦後の復興からがむしゃらに駆け抜けてきて、エコノミックアニマルと言われ、宗教も否定し、世界の中でも、経済は豊かだけれど精神性は劣っていると思われていたと思います。事実そのとおりだったと思います。自分たちのことで精一杯で、他人の幸せや不幸まで考える余裕がなかったのだと思います。

一方、日本人は古来より秩序と礼節を重んじ、調和を大切にする民族であると言われていました。今回、それがわかったように思います。日本は今、ひとつの家族になっています。他人ではなく、みな家族のように悲しみも喜びも分かち合い、復興に向けてがんばっています。親を亡くした子どもや、子どもを亡くした親も、もはや他人の話ではないのです。

そしてまた驚いたのは、世界中から励ましのメッセージや支援物資やお金が届いたことです。日本人もボランティアという習慣があまりないのに、たくさんの人が駆けつけました。世界中からもボランティアが集まり、必死に救助してくださる姿に胸が熱くなりました。ついその前まで海や領土問題でののしり合っていたことが嘘のようです。

私は常々、子どもたちのために世界平和をどうしたら実現できるか考えてきました。それは宇宙船地球号に乗り合わせた家族であり、仲間であるという思いに世界中の人びとがなれたなら、世界平和も単なる夢ではないと思います。先日も、アトランティス号の映像を見ていて、宇宙空間に浮かぶ地球を見て、ああ、なんてこの地球は美しいんだろう、命の恵み豊かな水を満々とたたえているこの地球を、放射能の汚染などで汚してはいけないと思いました。

この地球の未来をつくるのは子どもたちです。子どもたちを守ることは地球の未来を守ることであり、人類の希望を繋げることです。ぽっかりと浮かぶ地球を見ていると、聖書にあるノアの方舟のように見えます。こんなにたくさんの美しい生き物たちや自然の恵みを、地球は乗せて太陽の周りをクルクル一生懸命動いています。

地球人はみな、同じ船に乗っている仲間であり、家族である運命共同体であるということを忘れているように思えます。太陽の恵みは地球上にある国々、その国がどんなイデオロギーを持とうと、どんな宗教を持とうと、また豊かな国であろうと貧しい国であろうと、平等に照らしてくれています。その太陽の愛の恵みを受けて、地球はさまざまな生命を育んでいてくれるのだと思うのです。そのことを地球人は忘れてしまっているのではないかと思います。この大気圏に守られた地球を、仲間・家族を殺し合うために、放射能で汚したり、命育む水を汚したら、取り返しがつかない結果をもたらすと思います。

「世界平和なんて非現実的な夢物語だよ」と笑う人びとがいますが、理想や夢を簡単にあきらめてはだめだと思います。夢や理想は、それが誰かを幸せにするものであるなら、あきらめず努力しつづけるなら、夢は現実のものになるのだと思います。それを今回、日本人は学んだのだと思います。

日本は唯一の被爆国でもあります。世界平和への願いは特に強いです。誰も自分の夫や息子や恋人を戦争に行かせ、殺し合いをさせたい女性はいません。今、平凡だけれど平和を願うことをあきらめない日本人がたくさんいます。

今回の震災のお礼を、世界の方がたに申し上げたいです。たくさんのご支援、温かいメッセージ、祈りの思いを本当にありがとうございました。この感謝を忘れずに、私たち日本人は、平和の鐘を鳴らしていきたいと思います。これが日本の使命であると思うからです。

世界中の皆様、愛と分かち合いに満ちた地球の未来をつくっていきましょう。

ありがとうございました。

(国連でのスピーチ)

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2. すべての違いをこえて
― 私が平和問題を考えるきっかけになったこと ―

私は幼いときからキリスト教の環境で育ちました。幼稚園はカソリックで、マリア様の像とシスターたちの優しい笑顔に包まれて過ごしました。小学校になると、公立なので特定の宗教はありませんでしたが、すぐ近くにルーテル教会があったので、なぜか皆勤賞の商品が欲しくてせっせと通いました。そのとき学んだ聖書の言葉が胸に残っています。質素な掘っ建て小屋のようなプロテスタントの教会でしたが、「神様は私たちに、愛し合い、分かち合いなさいと望んでいらっしゃるんだよ」と、優しく語ってくれた牧師様が忘れられません。

中学・高校は、プロテスタントの学校に通いました。聖書の授業があり、毎朝短い礼拝がありました。ここでの影響が後々大きかったと思います。この学校でクラブ活動に、中学2年から高校3年まで天文部に入り、星ばっかり見ていました。月や惑星・太陽の黒点観測に、流星群の観測など、いつも天体望遠鏡を持って走りまわっていました。

初めて地球の映像を見たとき、青さとその美しさに感動したばかりではなく、今にしてみれば当たり前のことですけど、国境がないことに、幼かった私はびっくりしたのです。地理を学んでいたので、地球儀に国別に国境線が引かれているのに慣れていたからでしょう。

私たちは、神様からこの美しい地球を与えられて、愛し合い、分かち合い、平和に生きて、「産めよ、栄えよ」と言われて生きてるはずじゃないのかと思いました。そのときから、人間たちは、神様のおつくりになったこの地球という惑星の上で、エゴイスティックに争い合い、まるで刺青を入れるように地球に線を引き、奪い合い、争っているのだなと思いました。私も政治や外交の大切さはわかります。安易な平和論を唱えるつもりはありません。でも、未来が建設的に描けて、子どもたちが幸せになれる希望を抱ける未来をつくるのが、今地球に生きている者の使命ではないかと思うのです。なぜ人間は戦争をやめられないのでしょう? それぞれの利害関係はあるけれども、互いに違うところを受け入れられないだけで争っているように思います。

私には、5人の子どもがいますが、5人みんな個性が違ってかわいいです。どちらが優秀だろうと、劣っていようと、かわいさには関係ありません。逆にどんなに優秀だろうと、同じ個性の子どもたちならばつまらないと思います。違うからこそ楽しいのではないでしょうか。

この世界は神様の花園だと思えば、ある人はバラのようであるかもしれませんが、スミレにはスミレの美しさがあって、バラはバラにしかなれないということがあります。でも、神様の花園は、たくさんの種類の色とりどりの花が咲き乱れています。違うから美しく、存在理由があるのだと思うのです。

そしてまた、この世は、神という最高の芸術家が描く、アートだと思います。だから、宇宙の星ぼしはあんなに美しく、深海の魚たちもため息が出るほど美しいのではないでしょうか。この世界は、神様が描いた壮大なジグソーパズルのようだとも思います。そのワンピースワンピースが私たち一人ひとりであって、どれひとつ欠けても神様の作品は完成しないということです。生まれてこなかったほうがよかったなんて人は、誰ひとりいないということです。存在しているということは、神様が必要としているということです。

自殺する若者が今、たくさんいます。物質は豊かになったけれども、自らの存在意義を見つけられず、空しさだけで絶望してしまうのです。そういう人に、私は言いたいです。「あなたは、この世に生まれてきただけでも存在価値があるのだ」と。「今の私に比べたら、無限の可能性を秘めた存在だ」と。「ありのままのあなたでいいのです。内なるうずきに正直に生きてごらんなさい」と言いたいです。ありのままでない自分になろうとすると苦しいです。死ぬ気になったらなんでもできるのだから、今のあなたの命を大切にしてほしいです。

私たち人間だけでなく、動物も植物も、この地球に命の恵みを受けた子どもたちであると思います。いわば地球という惑星は、私たちのお母さんのようなものです。ならば地球上で暮らす私たちが、いがみ合い、戦争で殺し合う姿は、母親の前で兄弟げんかして殺し合う姿に似ているのではないでしょうか。人種や宗教やイデオロギーや民族の違いで争うのはやめてほしいです。争ったあげくに核戦争など起こしたら、母なる地球を、もう再び命芽吹かぬ星にしてしまうかもしれません。今は世界的に見て、その危険性がある時代だと思います。

男性方にお願いしたいです。私たち女性たちは、愛する子どもたちとささやかな平和な未来を築ける社会が欲しいのです。国が違えど民族が違えど、愛する夫や息子や恋人に、人殺しをさせたい女性たちなどいないと思います。愛する家族や友人たちと幸せに暮らす未来を、次の時代を生きる子どもたちに残していけるような、私たち人類でありたいと思うのです。

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3. 「愛と平和の地球」の到来を夢見て
― ともに平和の鐘を打ち鳴らそう ―

命の尊さについて考えてみたいと思います。私は私なりにこの問題を考えてきましたが、やはり病気をしてみないと実感がなかったと思います。昨日と同じように今日があり、当然明日もきて、1年先も10年先も生きているのが当たり前だと思っていたのです。でも、それは当たり前のことでなくなったときに、その意味と価値を知ったように思います。

私の病気は、体の運動機能を動かす神経伝達が障害される病気で、進行性なので毎日何かしら体が動かなくなり、機能が奪われていくのです。そのとき感じたのは、なんと精密な体を神は私たちに与えてくださっていたんだろうということでした。この機能を人間が機械でつくるのは、いまだ不可能だと思います。部分的にならできるようになってきた段階だと思います。

「脳の奥までは見ることも治すこともできないのが現在の医療です」と、お医者さまに言われました。有効な薬もないのが実情です。

こういう難病と呼ばれる病気はまだたくさんあります。そのとき私は、人間の力はまだまだ無力なんだなと思いました。が、と同時に、いまだ現代の医療が追いつけない領域がこんなにもある、この体の複雑さや精巧さに驚くと同時に、神様はこんなにもすごい科学者でもあるんだなと感動してしまったのでした。

私は歩けて当たり前、話せて当たり前だと思って生きてきました。動くことが当たり前でなくなったときに、動いていたときに何でもっと力いっぱい生きなかったのかと後悔しました。私は残された時を、もうけっして無駄にしないで生きようと決心しました。

何に使うのがいちばん私の納得できる生き方かと自らに問うたとき、子どもたちの未来を、平和で安心できるものにすることに、お役に立ちたいと思いました。それと同時に、この肉体の生命の不思議さ、偉大さに感動して、今まで当たり前だと思ってきた神様に感謝がわいてきました。目に見えない神様というより、私たちのこの肉体や、あらゆる生き物の生命の営みを許して守ってくれているこの地球に、感謝の気持ちがわきあがってきました。それは、人類と地球の平和な未来を願う夢になっていきました。

命の尊さを考えたときに、私は動物も人間も植物であっても、あらゆる命の営みは等しく尊いものであると思います。人間同士ならなおさらです。

私たちは地球という星に生まれた兄弟家族であると思います。地球に住みながら、戦争や争いごとをするのは、母親の前で兄弟げんかをするようなものです。

もうこれ以上母である地球を傷つけて悲しませてはいけないと思うのです。どこに住んでいようと、肌の色や目の色が違おうと、文化や思想が違っても、宗教が違っても、みな地球に育まれ命を与えられて生きる家族であると思うなら、戦争など無意味なものにうつります。少なくとも子どもたちの未来は安全なものにはならないでしょう。

今、世界を見渡すと不安な世情が目につきます。このまま人類はどこへ行くのかと考えてしまいます。果たして人類は子どもたちに愛と夢のある未来を残すことができるのかと思います。

私は安易な理想論を言うつもりはありませんが、個人的な利害関係を抜きに人類全体がどの方向に進むべきか、また、進みたいかを話し合える場が必要だと思いました。

その時私にひらめいたのは、国連に行って世界の仲間に話をしてみたいということでした。国連というシステムは、人類がつくったシステムの中で最も価値のあるものだと思います。国同士の代表が外交をしても、政治家は自国の利益を最優先せざるを得ません。でも時は今、時代は地球レベルの危機感を考える時代になっていると思います。国家レベルを超えて、宗教や民族の違いや文化の違いを越えて、今、宇宙船地球号に乗り合わせた運命共同体である地球という星に生きる家族なのだという認識に立たないと、だめだと思うのです。

私は平凡な主婦として、また、5人の子の母親として、生きてきたものです。しかし、地球を見渡した時、人類の半分は私と同じ当たり前の女性たちであると思います。国を越えて、宗教を越えて、愛する息子や、夫や、恋人に、人殺しをさせたい女性はいないと思います。もちろん、愛する息子や、夫や、恋人を失うのも、つらく悲しいことです。

それはクリスチャンだろうと、仏教徒であろうと、イスラム教徒であろうと、他の宗教であろうと同じ思いだと思います。どの宗教の神様も、人殺しは喜ばれないと思います。

今私はこんな動かない体で声も出ませんが、世界の女性たちに、私たちの愛する家族を守るために、ともに手を取り合いませんかと呼びかけたいです。ひとりの平凡な女性として、母親として、同じ時代を生きる仲間として。そして、男性方にお願いしたいです。平和に安全に生きる未来をつくる方向の社会の実現を。

平和実現のために、いかなる正義であっても暴力や力でねじ伏せることには、私は反対です。暴力は傷ついた人の恨みを買い、また暴力を生みます。その繰り返しの人類の歴史だったのではないでしょうか。私たちはもう地球に住む同じ家族、兄弟であるという認識で愛し合うべき時であると思います。さまざまな違いを乗り越えて、心の内側から、みな地球に住む子どもたちであるという認識でひとつにまとまって、子どもたちに、未来を幸せに生きることができる惑星としての地球を残したいと思います。

今度、戦争が起きたら、地球は危なくなるでしょう。生命の死に絶えた惑星にしては、取り返しがつかなくなります。

そうした未来を愛する子どもたちのために残さないでください。

男性女性ともに手を取り合って『愛と平和の地球』の到来を夢見て、(国連の)平和の鐘を、ともに打ち鳴らして参りましょう。

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4. 芸術の光に祈りを込めて
― なぜ私は芸術集団をつくったか ―

今日はなぜ私が芸術集団をつくったかを話したいと思います。もともと好きだったということもありますが、私の思いは地球に生きる人がみな家族であり、愛し合う仲間としてひとつになろうという平和への祈りであります。

祈りには、地球に対する感謝の思いがあります。

古来より芸術は、祈りや感謝を神に捧げる表現手段としてきました。 絵画や音楽などは、理屈を越えて言葉を越えて、感性で観たり聴いたりした人びとにメッセージを伝えて、幸せな気持ちにさせるものであるなと思いました。

マルチン・ルーサー・キング財団のドワイヤーセンターでも、皆さんの絵画やダンスや歌を見せていただき、ほんとうに美しいと思いました。 神様は、こんなにも黒人文化に美しさを込めて表現されているのだなと、日本の文化との違い、特に色彩感覚の違いに驚嘆しました。 正直に言うと、日本の色彩より青の使い方は好きでした。

一枚の絵を通して、まだ行ったことのないアフリカの人びとの息づかいや信仰心の美しさに触れて、今私は生きていて異なる文化に触れているのだと感動しました。私の体ではアフリカに行くことはできませんが、一枚の絵によりぎっしりと詰まった愛の思いを込めたメッセージを受け取ることができました。芸術には、そういう力があると思います。

音楽にしても、ダンスにしても、上手なテクニックをお持ちの方は、世界中にたくさんいらっしゃるでしょう。私たちは、ほとんど素人です。表現技術は拙いかもしれませんが、そこに世界平和を祈る気持ちや地球家族としてともに手をつなごうというメッセージがあります。私は、そのメッセージを伝えることが何より大切だと思います。

よく「平和論なんてあいまいで具体性がない理想論に過ぎないじゃないか」と言われますが、人間が生きていく上で、夢や理想は大切な生きるエネルギーになると思います。そういう意味で、私たち人間の愛や理想や夢を表現するのに芸術という媒体は適切ではないかと思いました。古代のギリシャにおいても、中世のルネッサンス期の作品にしても、最高のものは神への信仰心に満ち溢れています。

私は、何教の神というのではなく、ただ人間はここらで目に見えない神様への信仰心というのを取り戻すべきではないかと思うのです。

ここ数百年人類は、科学万能主義と経済論理に則った唯物主義に染まって進歩してきました。中世の迷信に染まった信仰主義の揺り返しだったのかもしれませんが、ここらでどちらかに偏るのではなく、科学や経済効率と信仰心の美徳とが手を取り合い、統合されることが大切な時期に来ているのではないかなと思いました。

特に日本は、信仰心と言っただけでも第二次世界大戦で敗戦してから、信仰心にアレルギーがひどいです。戦後の日本の復興は、この経済万能主義に支えられて猛スピードで進んできたのかもしれません。しかし人間は、それだけでは幸せになれないということにも、日本という国に住んでいると気づかされました。

私は、地球に生を受け生きる者として、地球に住まう仲間たちとともに手を取り合い、明るい希望に満ちた未来をつくるという夢や理想を、芸術の風に乗せて発信したいと思います。そうでなくては、あまりに悲惨な現実に満ちて悲しみや苦しみが世界をおおっているからです。苦しみに満ちた時代にこそ明るい光は必要だと思います。

言葉の違い、民族の違い、宗教の違いを超えて、世界中の人びとが心から手を取り合い、今地球に何が必要かを地球家族として考えたなら、たちまち戦争や核兵器など姿を消すことでしょう。

「私たちの愛する子どもたちの未来を守りましょう」と叫びたいです。私は声が出ません。だから、動けて作品にできる方たちに私の思いを伝えて発信していただけるようお願いしたのです。私は、この流れが人類に明るい未来のビジョンを抱かせ、明るい夢や理想を取り戻せる力になれたら幸せだなと思っています。

今再び、人間たちが神の元へと立ち返る新しいルネッサンスが起きたらいいなと思います。科学万能主義に謙虚さを失った人類がもう一度謙虚になって、本来の姿である神の子として神の元へと立ち返る、という精神的な流れが起きたら楽しみだなと思います。

そういう祈りを込めて、地球の仲間たちに送ります。

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5. 障害者として生きて

私は50 歳目前で病気を発症しました。病名は「多系統萎縮症」で、その中でも「線状体黒質変性症」という難病で、体の運動機能が順番になくなっていき、最後は呼吸機能も止まると、お医者様にいわれました。「発症したら5、6 年くらい」と言われていました。すでに6 年たって、話すことも寝返りを打つことも、もちろん歩くこともできなくなりました。その過程で、今までどれだけ恵まれた体で生きていたのかを、痛いほど実感しました。人間は、失ってみないと、今当たり前の幸せの意味を実感できないんだなあと、ひと事のように感心してしまいました。

この頃よくいわれるのですけど、障害者というカテゴリーに私は入るのですけど、その実感があまりないのです。身体が動かないという不便さはもちろんあるのですが、健康なときより動けなくなってから、素晴らしい友だちとの出会いの中で、真実の関係を結べて、自分らしく正直に生きることができるようになりました。だから、生き方次第で、不便なことはけっして不幸なことではないのだと思うようになりました。

私は、約30 年結婚生活をしていましたが、病気で動けなくなると、簡単に壊れてしまいました。でもそうなるには、それなりの原因があったのだと思います。病気になり、障害を持つということが受け止められない程度の関係だったということが明らかになった、ということなのかもしれません。

障害者は自分のこともできないので、子どもの親権が取れないのがいちばんつらかったです。身体が動かないので、家事も育児もできません。女性としての尊厳も認めてもらえません。だけど、こんな身体でも何かできることは、神様は残しておいてくださったのです。その残された時を、私は生きてみようと思ったのです。けっして人を恨んで残りの人生を過ごしたくなかったです。

感謝と人びとの幸せを祈る気持ちでいると、さまざまな人たちが思ってもみない援助をして助けてくれました。以前はこんなこともしてくれないと失望していたことが、別の人からちゃんと返ってくるものだなあと思いました。

そういうつらい体験の中で、神様はちゃんと見てくださっているから、自分なりに思ってきた平和運動を、私は精いっぱい声をあげて生きようと思いました。この問題は、障害者であろうとなかろうと、すべての人に通じるのではないかと思います。私がこの病気になったからこそ、知り得た実感です。

私は人より健康で、子どもも簡単に授かり、恵まれた生活を与えられていました。漠然と感謝はしていましたが、今の時を見つめて生きるというハングリーさに、今ひとつ欠けていたと思います。私は、今という時代の重要性と生きるという意味の大切さを、学ぶときがきたのだと思いました。

障害があろうとなかろうと、今与えられた命は尊いと思います。だから、高齢出産のとき、羊水検査で障害があるかもしれないというだけで、簡単に胎児を中絶しないでほしいです。もしももたない命なら、生まれてこないはずです。障害があろうとこの世に生まれられたということは、何かその人がやらなくてはならないことがあるということだと思います。

かの高名なヘレンケラー女史も、あの障害あればこそ、サリバン先生に出会えたし、光のない世界を知ったからこそ光の大切さを知り、自ら世の光となられたのではないでしょうか。

私たち人間は、あまりにも幸せ過ぎると今与えられている幸せに慣れてしまい、当たり前だと思い、感謝を忘れてしまうものかもしれません。そのとき障害者が勇気を持って人前に出て、堂々と自分たちが思うこと述べることが、ほかの人に勇気を与えることになると思います。

障害を持っていても、あの人は何で幸せそうなんだろうと思われて、その人が生きる力の助けに役立ったなら、十分障害者でも活動した意味があると思います。

日本には、「泣いて暮らしても一生、笑って暮らしても一生」ということわざがあります。ならば、自分もほかのみんなも泣きながら生きるより、幸せに笑い合って支え合って、生きていきたいものだと思います。そのとき、神様もにっこり笑ってくださると思うからです。

ありがとうございました。

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6. 平和と宗教統合

私は子どもの時から、いつかは平和な世界になるんだろうと期待していました。だって、イエス様もブッダ様もマホメット様も間違っていないし、とても魅力的に思ったからでした。では、なんでそれらを信仰する人が平和で幸せになれないのでしょうか。自分たちの宗教しか認めないという思いでは、神様は悲しむと思います。

私は受洗していないので、どこの信者でもありませんが、今回フランシスコ一世がイスラム信者に額づいて足を洗ったという報道には、さすが教皇様だと思いました。上に立つ人は、下に控える者につかえる者でなくてはならない、というのを実践して見せた方なのだなあと思いました。どんな宗教も、大衆を幸せに神への信仰に導くために起きたものだと思っています。それなら、どうして平和で安全な国づくりができないのかなあ、と思っていました。宗教がからんだ悲劇的な戦いを見るたびに、深い悲しみに襲われていました。

私たち地球に住む者は、もっと地球人であることに目覚めるときではないかなと思います。地球に太陽があるように、どの国も分け隔てなく愛というエネルギーを与えてくださっているのが神様の愛だと思います。肌の色も国籍も文化も違えども、地球の子どもたちという点でみたら、動物や植物も一緒に地球に命をもらって生かされている地球の子どもたちであると思います。だから、環境破壊はともに地球に生かされている仲間を殺すことになるのです。

暴力は暴力しか生まず、力で抑えては恨みをかうだけです。

そのことを、今まで人類は学んだのではないでしょうか。

それなのに、再びきな臭いことになっています。

今度戦争が起きたら、地球を焼き尽くしてしまうでしょう。

何回も何回も殺し合って、私たち人類はどこに行くつもりでしょう。

19 世紀後半から、人類は科学万能の物質主義の中で生きてきました。それは近代化するのには役に立ったけれど、心の大切さとか自然界と人とのつながりとか、神様とのつながりを、見失ってきたように思います。

平和を築くなら、今ひとたび私たち人類は、地球から命をもらって生きている兄弟なんだという認識に立って、植物も動物も同じ地球の子どもたちであり、運命共同体なのだと気づくことができるかにかかっているように思います。それに気づいたら、環境破壊はできないはずです。

次に人類が進むべき道はどこなのかと思ったら、違いを乗り越えてひとつになることではないかと思います。各宗派も違いを認めつつ、その存在意義を認めつつ、ひとつにまとまった時に、すべての問題は愛という理念の中でとけていくように思います。

明治維新の時に鎖国していた日本に、坂本龍馬たちが世界の中の日本という認識に気づかせてくれたように、宇宙の中の地球に生きているんだ、と言いたいです。そういう認識に立ったら、殺し合いなんかできないです。

今、世界の宗教指導者の方にお願いしたいです。

今こそ枠を越えて、手をつないでいただけないかと。

まず、指導者の方から手を差し伸べてほしいのです。

それをお願いにまわっています。

去年はダライラマ法王様にも会って、祝福を受けました。こんな私の気持ちを、慈愛に満ちた眼差しで受け止めていただきました。

こんな私の言うことを、聞いてくださる方がいらっしゃいます。若くて優秀な皆さまたちに伝えたいです。あなたたちなら、地球の未来へやれることは無限にあるでしょう。

それが私から皆さまへの命のバトンです。

皆さま、一緒に地球の未来をつくって参りましょうね。

今日はありがとうございました。

(鹿児島大学でのスピーチ)

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7. 世界中の女性たちに伝えます

私たちは、未曾有の危機の時代を生きています。ミサイルがアメリカを向いて配備され、その他の主要都市もターゲットになっています。何やら恐れていた戦いのきなくさい臭いがしてきました。世界の指導者は、自分の国だけは大丈夫だと思っているようですが、地球はご存じのように丸いのです。地球上に住まわせていただく以上、私たちは、家族と同じ運命共同体だと思います。

私たち女性は、あまりに平和のことを男性に任せ過ぎたのではないでしょうか。長いこと女性の多数は、特別の女性以外は関わっても無駄であると、あきらめてしまっています。私たち、平凡な女性たちが見てみぬふりをしては駄目だと思います。今こそ、私たちの星、地球を守るために、手をつなぎませんか?

私たち女性は、国を越えて、文化や宗教を越えて、願いは同じはずです。「私たちの大事な息子や夫や恋人を死なせないで。殺し合いをさせないで」と、声をあげれば変わりますよ。地球の半分は女性なのですから。

私たちは地球に命をもらい、子どもたちを生み育てさせてもらっていることを、忘れてはならないと思います。その地球を放射能で汚したら、取り返しのつかないことになります。子どもたちに未来がある地球を残すために、手を取り合いましょう。

私たちでできることを、まず始めませんか。母親の思いは子どもたちの思いになって受け継がれていきます。私たち女性が、「地球に住む者はみな家族だ。愛し合って生きよう」と、子どもたちを育てたら、次の世代にはそういう考えをした人が、わずかですけど増えてくると思います。

私たち女性達たちだけでも、「愛する家族が無事でありますように、地球の未来をお守りください」と、心を合わせて祈りませんか。それが『愛と平和の祈り』です。その『愛と平和の祈り』を提唱したいと思います。

何も特別なことはいらないのです。思いによって、地球人として家族であると、愛し合ってひとつになるということができることが大事なことです。そのために、お力をお貸しいただけませんか。

正午に祈ってください。

皆で手を合わせて祈りの中でつながっていき、安全で夢のある未来を子どもたちに残しませんか。

皆さまのお力をお貸しください。

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8. ゴールデン・アップル・プロジェクト

ギリシャ神話に、黄金のりんごの話があります。ゼウス様が「黄金のりんごを与えるのにふさわしい女神は、ヘラ、アテナ、アフロディーテ、3人のうちの誰か?」と、パリスという若者に問いました。このときのパリスの選択が原因で、結果的にギリシャとトロイの戦争にまで発展することになります。とてもはた迷惑な話なのですが、黄金のりんごが地球そのものだと考えれば、納得できる話かもしれません。

私たちは地球に命をもらい、育まれている兄弟であり、宇宙船地球号に同じ時代に乗り合わせている運命共同体であるという認識に立つなら、地球は母親のようなものであり、大事にしなくてはならないもののはずです。

それなのに私たちは、地球を痛めることばかりしているのではないでしょうか。環境破壊で水を汚したり、空気を汚したり、土壌を汚したりしています。このところ、水を汚している国が問題になっていますが、水は地球の体液であり生命の源なのです。

さらに、ミサイルを他国に向けて設置している国もあります。地球から地球めがけて、母なる地球を破壊するために狙いを定めているのです。

暴力に暴力で対抗し、力で抑えようとしても駄目だと思います。戦争という手段を使わず、平凡な私たちではありますが、力を合わせて祈りをパフォーマンスで表現してみませんか?

正午に居合わせた場所で、ストップモーションで止まります。そして、地球の正午のところから、次々に愛と平和の地球への感謝の祈りが湧き上がって、金色のオーラが地球を包むという計画です。

一人ひとりは平凡でも、地球を愛するという思いと、よりよい地球の未来を子どもたちに残したい、という思いを大事にしたいです。「そんなの夢物語だよ」と言う人がいるかもしれません。でも、希望のある夢は簡単にあきらめてはいけません。

時の為政者や重要人物でないからこそ、自由に当たり前の主張ができるのです。

地球上にいるのは、ほとんどが平凡な人です。

私たち平凡な人たちが、ひとつになって愛と平和を訴えませんか。

そのときこそ、ギリシャ神話にある金色のぴかぴかに輝く地球が、平和な心を取り戻すのだと思います。

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稲森 紀子