ICCGC-CoNGO2025に参加しました。

2025/8/15(金)〜8/18(月)の日程で、韓国の全羅北道益山市にある圓光大学校でICCGC-CoNGO2025(Interfaith Coalition Conference for Global Citizens Conference of NGOs in Consultative Relationship with the United Nations)が開催されました。松井ケティ清泉女子大学キリスト教文化研究所客員教授からご招待を受け、8/16(土)のCultural Exchange & Networking - GroupB: Cinema Talks "Unification"(Collaborative Program)(19:30-21:00)に、IAPGが日本からオンラインにて参加しました。

当プログラムの中で、平和について考えて行動に結びつけるディスカッションの題材として、ショートミュージカル「UNIFICATION」を上映し、上映後、IAPG代表 大和光剣がスピーチを行いました。

(以下、スピーチ全文)
皆さん、こんばんは。私は今、ご覧を頂きました、ショート・ミュージカル「UNIFICATION」を演じました INAMORI Art Project Group の代表 兼 Excutive producerを務めております、大和光剣と申します。
本日は、この日本と韓国とを結び、このような機会を頂きましたこと、そしてこれからの地球の未来を担われる若い皆様の前でこのようなお話をさせて頂けること、そしてこの機会をお創り頂いた松井ケティ先生に、心から感謝を申し上げます。

私たち稲森アートプロジェクトグループは、2010年、稲森紀子というこのグループの創設者、難病を患った1人の女性の思いからスタートさせて頂き、今年で15年目を迎えました。

この間、ニューヨーク、ジュネーブをはじめ、海外と国内各地で、このようにいろいろな方々のお力をお借りして、創設者である稲森紀子の思い、「この地球を来たるべき子供たちのために、どうしても愛と平和の溢れる地球にしたい」という思いで、こういった活動を続けさせていただいております。

しかし、ご存知の通り3年半前に始まったロシアとウクライナの戦争をはじめとして、世界各地で、まだまだ愚かな争いや戦いというものが終わりを見せる気配はありません。しかも新たな争いの火種や「抑止力」という幻想やお伽噺の下に、地球を破滅へと導く核兵器を新たに所有しよう、という国も現れています。
私どもはこの15年間、こうやって活動を続けて来ておりますが、一向に世界からは、殺し合いが収束を迎えるという兆しが見えておりません。一度始まってしまった戦争というのはこのように、愚かなプライドの張り合いや権力闘争等を含めて簡単には終わらせることができない、ということを私達は目の当たりにしています。

大人や指導者というものは、このような過ちを数多く犯す、「私たちは、正義のもとに戦っているんだ」というような、本当は神様はそんなことは決して望んでいないということさえもわからない、人間は愚かな生き物かもしれません。
だからこそ一方で、私たちは、子供たち、若い人たちに、我々大人が、責任を持って、戦いというものが始まってしまったらなかなか止められない、「最初からやってはいけないんだ」と、「始めてはいけないんだ」ということを、強い思いでいろんな手段で届けていく、伝えてゆくことが大切だ、と思っております。

皆様は、今日の私たちのパフォーマンスをご覧になって、何を感じられたでしょうか?

私たちがお届けしている作品には、これ以外にも映像や演劇や漫画もあります。
これらの中で、私たちは大きく4つのことをお伝えし、お届けしています。

ひとつ目は、様々な世界的な宗教が奉じている「神」という存在は、実はすべて同じ存在で唯一の存在である、ということです。
私たちは殆どのメンバーが特定の宗教に属していません。しかし、だからこそ、「神」はこの宇宙の中で唯一であり、すべての信仰者にとって実は同じ存在である、ということがわかります。だからこそ、逆に、特定の宗教に属する必要性を感じないのかもしれません。
なのに、唯一の、同じ神を信仰する人たちが世界中で、「私たちの『神』とあなた方の『神』は違う」という勘違いによって、最後は殺し合いをしてしまう、何と奇妙で愚かなことでしょうか?

ふたつ目は、私たちはそういう意味で、ひとつの神によって、ひとつの神から創造された生命体、本当の意味での「神の子」である、ということです。そして、私たちは「宇宙」という「神のお身体」の中で生かされています。私たちはすべて誰もが「神のお身体の一部」なのです。だからこそ、私たちは誰ひとりとして、神にとって「必要がない」という者はいません。私たちは神という宇宙、大きなパズルの中のかけがえのない「ワンピース」なのです。だから、私たちの中には神から分け与えられた「愛」というエネルギーが宿っています。そして、だからこそ、私たちの中には生まれたその時から、「『自分ではない誰かのために』生きたい」という「利他」の思いが宿っています。それは身近な家族や友人の為だけにではありません。見たことも会ったこともない誰かのためにも生きたい、という心です。それは、この宇宙の生きとし生けるものすべてに対する「愛」の思い、「神の思い」が私たちにも分け与えられているからなのです。
で、あるならば、なぜその心とは真逆の、「自分ではない誰か」を排斥したり、傷つけたり、殺し合ったりするのでしょうか?それは神の思いとは真逆の思いであり、人間自身が、その自由意思により、思い上がりや勘違いによって生み出した「過ち」「歪み」であるのです。

三つ目は、私たちは今は記憶を一時的になくしていますが、私たちにはすべて、今の自分として生まれて来る前に、別の人生・前の人生・過去の人生があったということです。それを「過去世」と呼びます。宗教によっては伝えきれていない場合もありますが、それは時間がなかったために伝わり切れていないというだけで、ほんとうは全て宗教の始祖はそのことを伝えようとされていたと思います。それを「転生輪廻」と呼びます。もし、自分たちに、その昔、かけがえのない別の家族や子供たちや友人が居て、あなたは今は忘れているかもしれないけれど、その人たちが今、目の前にいて、あなたが今から傷つけよう、攻撃しよう、排斥しようとしている対象であったとしたらどうしますか?人間の生命・魂は永遠です。この人生が終わった後、天国ですべてを思い出し、その人たちになんと言って謝るのでしょうか?その時、「知らなかったんだ」「忘れていたんだ」と言って後悔しても遅いのです。なぜなら、あなたは「忘れていても、必ず私の心は私にそのことを教える」と約束したはずだから、です。

最後に、私たちは「宗教」とは「科学」と同義である、と考えています。何千年の時を越え、様々な国々や様々な時代に、モーゼやイエスやブッダやアラー、マホメットや孔子、天照大御神等によって説かれて来た教えの中に、必ず共通の教えがあるのはなぜでしょうか?勿論、それぞれに特徴や個性はあります。しかしなぜ、殆どの宗教が「天国」「地獄」の存在を教えているのでしょうか?人間に与えられた「神性」や「良心(conscience = with science)」を説くのでしょうか?それは「宗教」が単なる「思想」や「考え方」「発想」「哲学」ではなく、この宇宙の中に存在する「事実」「理」「法則」を示しているから、つまり「自然科学」だからです。近年、最先端の宇宙物理学では、「ダーク・マター」「ダーク・エネルギー」の存在が発見されました。私たちは「ダーク・エネルギー」とは「神」の生命エネルギーそのものであり、「ダーク・マター」とは、神から分かれ出でた「高次元物質」であると思います。ようやく地球の科学が宗教に追いつく時代が来ました。「信仰心」とは、「信じるか、信じないか」ではなく、「事実・真実を知ること、学ぶこと」であると思うのです。
もし、そのことを知れば、例え、忘れていたとしても、「宇宙船地球号」の家族であり、仲間であるお互いを傷つけ合ったり、殺し合ったりするような、馬鹿馬鹿しい、愚かなことをするでしょうか?
そう、地球人の学びはまだまだ小学生レベルだと思います。
これからの未来を担う皆様には、新たな価値観や真実に気づき、どうか大きく飛躍して頂きたいと思います。

私は既に67歳になろうとしています。稲森紀子は今から丁度12年前に帰天致しました。
これからの地球の未来と夢と悲願を皆様に託します。勿論、私たちも、この人生の命の尽きるまで、諦めることはありません。

「Change Maker」。
倶に、地球を変えてゆきましょう。

本日は、ほんとうにご清聴、ありがとうございました。